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――そのころは、どうやって生活していたの?

音楽スタジオでアルバイトしてた。長髪だったから、高校生のころはラヴ・ホテルでバイトしていて……その話はまた違う機会にするけど、長髪が住みにくい時代だったでしょ。だから、ラヴ・ホテルでバイトしていたら、そこの関係で音楽スタジオを作ることになって。だから、そのスタジオの立ち上げのときから働いてたんだ。年齢が年齢だったら、正社員になっていたのかもしれない。

そしたら、そのスタジオに大槻の知り合いがたまたま遊びに来ていて、そのころに筋少がギタリストを探しているっていう話をしていてさ。オレは、切磋琢磨していたバンドがようやくデモ・テープを録るようになって、夜中に生ドラムをそのスタジオで録ったりしてね。で、徹夜でデモ・テープを仕上げて聴いているときに、大槻の知り合いだっていう人が遊びに来たんだ。

それが確か、筋少が『シスター・ストロベリー』のレコーディングをやっていて、横関さんがギター弾いている時期だったんだけど、その人が、連中に紹介してくれたみたいなんだよね。その当時、いろんなスタジオに「筋肉少女帯、ギタリスト募集」っていう貼り紙が貼ってあったよ。

高校生のころ、スリージー・ラスターでヤマハのバンド・コンテストなんかに出てたんだけど、そこに大槻や内田なんかも出ていたから、彼らにしてみれば、高校時代のバンド仲間みたいな感じでね。そんなつながりもあって、そのスタジオに大槻から電話がかかってきたんだよね。
「じつはギタリストを探しているんだけれど、やってみませんか?」ってね。
オレはそれが加入の誘いの電話だと思っていたんだけれど、オーディションを受けることになってね。まあ、そりゃあそうだよね。メジャーで、2枚目のレコーディングしている最中でっていう。しかも、そのレコーディングに参加しているのが、オレも昔から知っている横関さんだったっていうのが、またいい流れだった。

コンテスト時代の筋少って、オレはパフォーマンス集団だと思っていたから。当時、大槻たちがやっていた空手バカボンを、Y.M.Oみたいな音楽性でパフォーマンスをやる集団って感じにとらえていて。筋少に対して、ロックのロの字も考えてなかったわけ。だから、そこから誘いが来ること自体、ちょっとヘンだなって思っていたんだ。
でも、ファースト・アルバムもロックだったし、セカンドを横関さんが弾いているっていうことで、“なんでそうなっちゃったの?”って思いながらも、“だったら、オレみたいなギタリストを探してるのかもわからないな”って思ったから、オーディションを受けに行ったよ。

大槻から初めて電話が来たときに、「でも、オレはハード・ロックだよ」って言ったもの。そしたら、「ウチはハード・ロックです」って大槻が言ったからね。それを思い出すと、いまでもおかしくって。“筋少が自分のことをハード・ロックだと言い切ったぞ”ってね(笑)。
ヤマハのコンテストで、スリージー・ラスターはいつも優秀賞を取ったり、決勝まで勝ち残るバンドだったのね。だから、同世代としては、どこかで筋少のことを見下しているようなところもあったのね。だから、“まあ、ヘンなこと言ってるなぁ”っておかしかったのね。
で、レコーディングの終わったセカンド・アルバムを聞かせてもらったら、たしかにハード・ロックで、しかもそこにプログレの要素が入ったプログレ・ハードな音に、ちょっとパンキッシュなものも入っていてね。
じつは、その2年間でプログレッシヴなものをやりたいっていう欲求も、オレのなかにはあったんだ。3コードのロックン・ロールじゃなくて、レインボーで言うならば、「スターゲイザー」みたいな大曲をできるようなギタリストになりたいっていうのもあって、その時期のオレはプログレッシヴな要素を渇望していたの。鍵盤ともやってみたいというのもあって、そこに三柴理クンっていう天才的なピアニストがいたわけで。

で、彼と一緒に音楽の切磋琢磨して。そのうえに大槻なんかのパフォーマンスがあると、世の中にはないものができるんじゃないかと。アルージュのときに、いろんなものから受けた要素を取り入れすぎたこともあって、“オレは今後、なになにっぽいっていうんじゃなく、世の中にこれしかないっていう、自分たちのものを作りたい”って思っていたんだ。そのうえで筋少に入ったんだよね。

あとで、みんなから、「どうして橘高みたいなヘヴィ・メタルのヤツが筋少に入ったんだ?」って言われたけど、オレがメタル・バンドを組んだら、ただのメタルになるからイヤだったんだよ。へヴィ・メタルっていうのは、どんなヴィジュアルでもできると思っていた。音楽雑誌なんかで、「これはヘヴィ・メタルではない」と書かれても、オレがヘヴィ・メタルだと思えばヘヴィ・メタルでいいんだ。そういう自分が思うハード・ロック・へヴィ・メタル像に、筋少に入るっていうことが、うまくフィットしたんだよね。

――オレも、筋肉少女帯は、ファースト・アルバムができたとたんに、前のギタリストが脱退して、どこかにヘヴィ・メタル系のギタリストはいないかって、当時のマネージャーに相談されたものね。

それで、大野さんが横関さんを紹介したって話を聞いて、なるほどと思った。へヴィ・メタルのギタリストっていうと、自分でバンドを引っ張っている人がほとんどで、ひとりでいるっていう人はなかなかいないでしょ。だから、ちょうどいい具合に、横関さんを見つけたなってね。
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