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――いいオトナになっても、電車に乗るとアタマがグルグルしちゃうような人とかね。

そうそう。当時でも、オレたちはそれをインタビューなんかで、隠さずに言ってたよね。プロモーション・トークとかじゃなくて、オレたちは自分たちがホントに苦しくて、そういう状況のことを言っていたから。

――たしかに。ヘタするとオレなんかインタビュアーじゃなくて、カウンセラーかと思うくらい、メンバーのいろんな悩みも聞いたよ(笑)。

もう、ホントに苦しかったし。戦っているところを、オレたちは見せていたよね。だから、そういう人たちと一緒に生きていたのかもわからないよね。

――いまだに、ちゃんと電車に乗れないものね、きったかちゃんも(笑)。

うん。ここへ来るのに、さっき久しぶりに電車に乗ったけれどね。車がすごい渋滞してて。で、たしか24歳のときに大槻と一緒に電車に乗ったなぁって思い出していて。オレは、ずっとしゃべらなかったなっていうのを思い出したものね。電車は、乗っても各駅で降りたりね。ひどいときには乗れなくなって帰れなくなったりしたものね。だから、ツアーするのもたいへんだった。 一度、筋少を引退するってメンバーに言ったことがあってね。もう、日常生活がおくれないからって。

――すごいことになってた時期があったんだね。

もう、メンバー全員でミーティングしてさ。ふつうのバンドじゃ、ありえないよ。ふつうなら、売れてなくて生活がキツイからとかっていうのもあるかもしれないけど、そこそこ売れてたんだよねぇ。 なにも不満はないんだけれど、オレがまっとうな生活ができない。これじゃあ、ツアーにも出られない。ミュージシャンとして最低限の基本サイクルの生活ができない、と。

「だから、みんなに迷惑がかかると思うから、もうやめるよ」って言ったときに、「じゃあ、やめてなにができるんだ? ロック・バンドもできなかったら、なにもできないぞ」って言われてね。同級生だなって、ホントにそのときは感動したなぁ。 めったにウチのメンバーは人に向かって「がんばれ」なんて言わないんだけれど、そのときは「がんばって、やろうぜ」って言ってくれた。

あれは26歳のときだったけれど、メンバーが全員でオレの家にまで来てくれてね。やめようと思ったのは、そのときだけだね。「やめよう」じゃなくて、やめざるをえなかったんだよね、精神的にツライ時期があって。
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