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――筋肉少女帯が活動休止したのが、32歳のときだったけれど、それからX.Y.Z.→Aに参加するまでは、それほど間を置かなかったよね。

結局、1年もなかったんじゃないかな。筋少も今回の活動休止に関しては、かつてユーフォリアをやったときみたいに、何年か休もうかっていうような感じではなくて、解散に近い意味だったからね。どうしようかっていうときに、いまのX.Y.Z.→Aのメンバーに会ったんだけどね。筋少から離れたときのマネージメントがSLYと同じマネージメントだったこともあって、二井原実のソロ・アルバムを手伝わないかっていう声がかかったんだけれど、それがバンドになることになって。

で、大槻も筋少を違うメンバーで復活させようとしていたんじゃないかな。でも、それが特撮になって。で、オレはX.Y.Z.→Aで行っていたL.A.から帰ってきて、筋少から脱退することを表明したんだよね。そしたら、大槻もなぜか脱退しちゃったんだけど(笑)。

だから、たしかにX.Y.Z.→Aを始めたときには、パーマネントなバンドとして活動して行こうっていうのはなかったよね。でも、ファースト・アルバムのレコーディング中に、オレは二井原さんたちに「本日づけで筋肉少女帯を脱退しました」って報告したんだ。そしたら、ワインを出してきてくれて、「そうか。何年やってた?」って言われて。「10年やってました」って。それでワインを注いでくれて、「じゃあ、これからX.Y.Z.→Aをがんばろうな」って言ってくれたときには、いわゆるお兄さん的な暖かいものを感じたんだよね。それまでは同級生的なものを感じてバンドをやっていたことはあったけれど、そういう感じになったのは初めてだったから、“なにがあっても、オレはここに忠誠を尽くしてバンドをやろう”と思ったよ。

だから、レコーディングしにL.A.に行ったときには二井原実バンドっていう感じだったのが、たぶんオレのそういう経緯もあって、レコーディング中には、“X.Y.Z.→Aはバンドだよ”っていう空気になってね。
そういう意味では、別居状態でいるよりも、ちゃんと脱退したことが、X.Y.Z.→Aにとってもよかったなって思う。

大槻っていうヴォーカリストは音楽ジャンルを持っていないヴォーカリストだから、オレなんかの出す音によって、音楽性を評価されちゃうわけ。ずっと、それはかわいそうだなって思っていたんだ。もしかして、オレがその時代時代で、売れるギター・サウンドを出していたら、レコード会社としても扱いやすかっただろうし、もっと違う評価だったかもしれない。“でも、オレはしねえよ”っていう生きかただったからね。だから、筋少はおもしろかったのかもしれない。  だけど、二井原実はキング・オブ・へヴィ・メタルだから、オレは徹底してこのままぶつかっていくことで、彼に対していい仕事ができるだろうし。そういうところでも、ものすごく発奮したよ、そのときね。

――でも、X.Y.Z.→Aがおもしろいのは、メンバーそれぞれが築き上げてきた、それまでのイメージではないところで、ファンはそれぞれをとらえて楽しんでいるんだよね。たとえば、二井原実は、日本語でああいう歌詞を歌う人ではなかったし、ファンキー末吉にしてもああいうヘヴィなドラミングをする人ではなかったし、和佐田なんて絶対にそういう音楽のベースを弾く人とは思えなかったわけでしょう。それなのに、橘高は橘高だった。そこがまた、おもしろい。

オレはオレのままのところがおもしろいんだよね、X.Y.Z.→Aでは。だからオレも切磋琢磨しがいがあるんだよね、いま。

インタビュー収録日 2005年9月
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