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――当時の筋肉少女帯っていうと、「日本インド化計画」なんかのコミカルな部分でウケていたりしたからね。

それに「高木ブー伝説」だものね。実際、コミカルな要素も筋少の武器だったからね。一時、ドリフの事務所が怒っていたけれど、和解して、オレが参加して再レコーディングして、正式にシングルとしてリリースして。あれがオレたちの最大のヒットになったからね。

――初めて筋肉少女帯が日本武道館でコンサートをやったとき、オレの隣に高木ブーさんが座っていて、楽しそうに見ていたよ。でも、そういうことができてしまうというあたりも、筋少ならではのスタンスでしょう。橘高がメタルであるように、内田がプログレであったり、大槻がトラウマの塊であるエンターテイナーだったりして。

そういうところもおもしろかったし、たとえば「高木ブー伝説」にしても、大槻は高木ブーさんを茶化しているんじゃなくて、歌詞を読んでもらえばわかるように、大槻ケンヂとして人生の葛藤を歌っているわけ。そういうのが後になって、作家の道として、自分が表現しているということをアピールするエネルギーになったと思うし。オレは、ギター専門誌なんかで、ギターを練習している子たちにアピールできるような活動をどんどんやっていったし。

もしかしたら、自分たちのやっていることがコミカルなだけでとらえられていて、“ジツはオレは、こんなにやっているのに”っていうのを認めさせたかったからなのかもしれないよね。気持ちのバランスとしてね。だから、大槻は一生けんめいに原稿を書き続けたんだろうし、オレも一生けんめいに練習フレーズを考えて、ギター専門誌を中心にインタビューで発言するようになっていったし。

そこでまた、筋少はおもしろいスタンスになっていったんだけれどね。 TVに出ているおもしろいバンドなんだけれど、音楽的にも文芸的にも、生きかた的にも、すごくマニアックでコアなファンがいっぱい集まってくれてね。

――いま、認知されつつあるオタクとかヒッキーとかっていうものを、内部に秘めていることが外部に伝わるようなバンドだったよね。

どっちかといったら、精神的人間的に弱い人間が集まったバンドだったんだよね。オレの不登校とかね。その弱い連中が、TVに出たり、武道館でやったり、がんばってアルバムを売ったりしていることが、もしかしたら、同じ悩みを持っているような人たちに勇気を与えていたのかもしれないと思うよ。 電車に乗れない子とかね(笑)。
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